モニターの電源入らず

2019年6月26日
水曜日
はれ

 夕方、パソコンにスイッチを入れるとモニターの電源が入らない。あれこれやってみたがウンともスンともいわない。しかたなくサーバーに取り付けていたモニターをはずして取りつける。むかしのモニターだけあって色合いが微妙に変である。
 これだけの(単にモニターを付け替えただけ)作業で大いに疲れる。

 《洋画専門館「秋田ピカデリー劇場」》で調べついでに『銀映座』というのもあったな、と思い検索。

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十人衆町の旭館は戦後、「銀映座」「第二東映」「銀映劇場」と名を改め、昭和四十年頃に閉館。
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 小学生時代、『映画教室』というのがあって十人衆町というところまで歩いて行った記憶がある。何の映画だったのか?
 
 この映画館を経営したのが村山多七郎。民謡関係で亡くなる前に2.3度楽屋で見かけたことがある。彼の略歴をみると知らなかったことがいっぱい。

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 ▼村山多七郎氏略歴

明治44年横手市生まれ。京都大学経済学部を滝川事件のストライキ連座して中退・帰郷。映画館経営のかたわら秋田市議会議員に20代で初当選。その後、秋田市役所で経済課長を務め、市の経済行政の処理にあたる。

昭和22年(1947)「秋田中央印刷」設立。
昭和34年(1959)「有楽会館」設立。

経営した主な映画館
土崎映画劇場、阿櫻館(横手)、秋田東宝、国際劇場、セントラル劇場、ムービーセンター、秋田中央劇場、秋田名画座、秋田大映、麻布映画劇場・麻布中央劇場(東京麻布十番)。下記ウェブサイトに両映画館の写真あり
麻布十番・アルバム-2

銀行・国鉄・郵便局など、会社・職場単位の映画鑑賞サークルを組織、女性向け映画を特集した「女性週刊」を実施、映画評論家を呼んで解説させたりと、次々に斬新な企画を打ち出し秋田の興行界に新風を吹き込む。

昭和52年(1977)有楽町の「秋田東宝」跡地に映画館五館と飲食店が入居する秋田初の複合映画館「有楽町プレイタウンビル」設立。

昭和64年(1989) 秋田市文化団体連盟章
平成7年(1995) 秋田県文化功労章

平成11年(1999)逝去。享年88歳。
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