《佐竹の人飾り》いろいろ

2018年2月12日 月曜日 くもり

終日在宅。

冬季五輪、興味がわかず。

午前中、「あきた歳時記」。 《佐竹の人飾り》の項目。いろいろな見方がある。筆者が挙げているのは松浦藩主、静山松浦清著「甲子夜話」。その説明に

/* これは、藩が他藩と事を構えて出兵の手はずのさ中に来訪者があり、咄嗟の策として居合わせた武士を通路の両側に立ち並ばせたが、この堵列藩士の出兵が、係争中の問題を自藩に有利な解決をもたらしたという。以来、佐竹藩の江戸邸では、年々歳々、その縁起を重く見て門松を廃し、人飾りをしたという。 */

とあるが、「甲子夜話」なるものを見てないので、老生には云々できない。 しかし、「他藩と事を構える」「出兵の手はずのさ中」などがあったものか。それよりも「天草の乱」と説明してある文献の方が妥当に思える。

さらに例句として採っている「吉田冬葉」なる人物。本県に関係ある人物かと思ったが、そうでもないようだ。

/* 俳人。本名辰男。岐阜県生。大須賀乙字に俳諧を学ぶ。大正14年『獺祭』を創刊し、生涯この経営に当たる。また絵画も能くし、旅行を好んだ。編著に『冬葉第一句集』『故郷』等がある。昭和31年(1956)歿、64才。 */

よく見つけてきたものだ。