『たとへば狐の革裘』

2020年3月2日
月曜日
はれ くもり

 昨夜、ベッドに入つたとき、『たとへば狐の革裘』なるフレーズが突如飛び出してきた。
 「革裘」とはどんなものか。
 老生の記憶にある狐の革裘のイメージは母親の毛皮の首巻きで、あれは狐ではなく狸のようなものだつた。
 しかし、なんで突然、狐の革裘なんて出てきたんだらう。

 過日、「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」( 久保田万太郎)を入院中にわが薬指に取り付けられた血液の状況をモニターする機器の<あかり>と絡めて<ピンクに近い赤>と見立てたことがあったが、「短歌の友人」を読んでいて「あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり」(斎藤茂吉)の<あかあか>が気になつた。この場合、明るいの<あかあか>だろうが、医療機器のモニターの色、つまり<ピンクに近い赤>が被さつてくるのである。

 午前中、サティで床屋。ついで駅東のスタンドでガソリン・灯油。
 痰が詰まりハアハアしながら帰宅。

 午後は読書。