もう半世紀も前のこと

2020年5月7日
木曜日
はれ

 晴れたが気温はやや低め。
 終日在宅。

 夕方、犬の散歩についていく。隣家の芝桜、チュウリップが満開。

 『フリードリッヒ2世』の上巻を読んでいて、「これる」表現に引っかかる。塩野七生にして「らぬき」か、と思う。

 『海潮音』をパラパラ見るとVerlaineの詩は唯一つ。

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Chanson d'automne
                Paul Verlaine

Les sanglots longs
Des violons
 De l'automne
Blessent mon coeur
D'une langueur
 Monotone.

Tout suffocant
Et blême, quand
 Sonne l'heure,
Je me souviens
Des jours anciens
 Et je pleure

Et je m'en vais
Au vent mauvais
 Qui m'emporte
Deçà, delà,
Pareil à la
 Feuille morte.
*/

 

 上田敏の訳のほかに堀口大學金子光晴、窪田般彌の訳詞が載っていたので拝借。
 半世紀以上前の自分を思い出した。
 それにしても青柳瑞穂のこの詩の朗誦に田舎出の18歳はびっくりしたのであった。

/*

落葉
            上田敏 『海潮音』より

秋の日の
ヰ゛オロンの
ためいきの
ひたぶるに
身にしみて
うら悲し。

鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。

げにわれは
うらぶれて
ここかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。

 

秋の歌
            ポ-ル・ヴェルレーヌ堀口大學訳)

秋風の
ヴィオロン
節(ふし)ながき啜泣(すすりなき)
もの憂き哀しみに
わが魂を
痛ましむ。

時の鐘
鳴りも出づれば
せつなくも胸せまり
思ひぞ出づる
来(こ)し方に
涙は湧く。

落葉ならね
身をば遣(や)る
われも、
かなたこなた
吹きまくれ
逆風(さかかぜ)よ。


秋の唄
            ポ-ル・ヴェルレーヌ金子光晴訳)

秋のヴィオロン
いつまでも
 すすりあげてる
身のおきどころのない
さびしい僕には、
 ひしひしこたえるよ。

鐘が鳴っている
息も止まる程はっとして、
顔蒼ざめて、
 僕は、おもいだす
むかしの日のこと。
 すると止途(とめど)もない涙だ。

つらい風が
僕をさらって、
 落葉を追っかけるように、
あっちへ、
こっちへ、
 翻弄するがままなのだ。

 

秋の歌
            ポ-ル・ヴェルレーヌ(窪田般彌訳)

秋風の
ヴァイオリンの
  ながいすすり泣き
単調な
もの悲しさで、
  わたしの心を傷つける。

時の鐘鳴りひびけば
息つまり
  青ざめながら
すぎた日々を
思い出す
  そして、眼には涙。

いじわるな
風に吹かれて
  わたしは飛び舞う
あちらこちらに
枯れはてた
  落葉のように。
*/