「くびす」とは何の謂い?

2021年3月10日
水曜日
はれ

 終日在宅。

 朝、新聞の囲碁欄を読んでいて、「くびすを接して」という表記が出てきた。老生の記憶では「くびす」は聞いたことがない。そこで広辞苑を引いてみた。

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広辞苑4】
きびす【踵】①かかと。くびす。
②履物のかかとにあたる部分。
*/

 「くびす」という言い方もあるのだ。知らなかった。googleで検索。

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 『岩波古語辞典』には,「かかと」は載らず,きびす,くびす,
が載る。「きびす」の項には,「踵・跟 久比須,俗云岐比須」と「和名抄」を引くので,「くびす」が元のようだ。「くびす」には,「奈良時代はクヒスと清音」とある。「名義抄」には,すでに,「踵,クビス」とある。「踵を接する」に似た言い回しで,踵(くびす)を継ぐ,とも言ったようだ。さらに,「くひひす」の項で,「のちに『くびす』」として,「新撰字鏡」の,「跟,久比比須(くひひす)」
を引く。とすると,転訛は,くひひす→くひびす(くびひす・くびびす)→くひす→くびす→きびす,ということになろうか。多少の前後,使い分けがあったのかどうかは,ちょっと分からない。

 『日本語源大辞典』は,「上代のクヒビス(ないしクビヒス)がクビスやキヒヒスなどの形を経てキビスに変化した。中古以降クビスと並んで用いられるがクビスが規範的な形,キビスが日常的な形であったらしい。近世上方では次第にキビスが勢いを得,現代近畿方言につながる。」としているので,くひひす→くひびす(くびひす・くびびす)→きひひす→くひす→くびす→きびす,という転訛だろうか。

 『大言海』は,「きびす」は,「くびす」に,「くびす」は,「くひびす」の項につなげ,「くびびす」の項で,踵,跟,を当て,
「クビビは,縊頸(くびくび)の約にて(際際[キハキハ],きはは。撓撓[タワタワ],タワワ)足頸を云ふ,スは,居(すえ)の下略ならむ(杙末[クヒスエ],杌[クイゼ])。釋名『跟,在下方著地,一體任之,象木根也』。キビビスは,音轉(黄金[キガネ],コガネ,キガネ),クビス,キビスは,再び約れるなり」
として,意味を,「くびす,きびびす,きびす。今,かかと,又あくと」としているので,「かかと」という言い方は,後のもののように見える。

 「あくと」は,「歩(あゆ)く所,足掻く所」とあり,「和訓栞」,
「あくと『三議一統に見ゆ。キビスを云へり。今も東国は,さも云ひ,またアドとも云ふ』」
 また「物類称呼(安永)」の,「跟『キビス,信州にて,オクツとも云ひ,越後にて,アグと云ひ,九州にてアドという』」を引く。どうも方言の感じである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%81%8B%E3%81%A8

には,「かかと」の項で,方言として,

秋田県では「あぐど」
富山県では「けべす」
大分県では「あど」

と載る。

さて,「きびす」の語源であるが,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ki/kibisu.html

は,

上代には『くひびす』『くびひす』と呼ばれ、『くびす』『きひびす』などの形に変化し、中古以降に『きびす』にも変化した。その後『くびす』が基本の形として用いられ、『きびす』が 日常語として使われていたが、近世以降には、上方で『きびす』が基本的な形となり、西日本の方言となった。 全国的には、『きびすを返す』『きびすを接する』などの慣用句の中で用いられている。語源となる『くひびす』の『くひ(くび)』はくるぶしから先の部分や足をいう『くはびら』の『くは』、『びす(ひす)』は『節(ふし)』など関節を表す語系からといった説が有力とされる。その他,足首の下や足首の尻といった意味から『首下(くびし)』が転じたとする説や、足首のする場所の意味から『くびす』となり、『きびす』となったとする説もある。地方によっては、『くるぶし』を指すこともあり、『足首』の『首』が語源とも考えられるが、『くひ』の音や『ひす(びす)』が考慮されていない点で疑問が残る。」

と,

「『くひ(くび)』はくるぶしから先の部分や足をいう『くはびら』の『くは』、『びす(ひす)』は『節(ふし)』など関節を表す語系」
と言う説を言うが,これだと,『大言海』の,「クビビは,縊頸(くびくび)の約」もそうだが,くるぶし(踝),ではあるまいか。「くるぶし」と「きびす」との区別が曖昧だったということだろうか。

 『日本語源広辞典』は,二説挙げる。
説1 「クビ(足首)+ス(足の部分)」の音韻変化。足首の部分の意,
説2 「クル(くるぶし)+ス(足の部分)」の音韻変化。足のくるぶしの部分の意,
と,明らかに「くるぶし」と重ねる説を採る。

『日本語源大辞典』は,
クビスの転(俚言集覧・大言海),
クツヒキ(沓引)セルの反。沓引所の義か(名語記),
クルス(踝末)の義(言元梯),
梁摺の義か(和句解),
と挙げているが,いずれもちょっと首を傾げざるを得ない。「くびす」「きびす」と「くるぶし」の区別がつかない。むしろ,「きびす」に当たる「かかと」が代替することで,「かかと」が「くるぶし」と分化し,「きびす」は「踵をせっする」といった言い回しの中だけで残っていくことになったのではないか,という気がする。

「かかと」は,『岩波古語辞典』には載らない。
『大言海』には,
「足掻處(あがきと)の略転か(跡絶[あとた]ゆ,とだゆ。殯[もあがり],もがり。ときのま,つかのま)。仙台にて,アクトと云ふ。或は脚下處(カッカト)の約か」
として,こうある。

 『日本語源広辞典』は,「『カカ(掛)+ト(ところ)』です。つまり,体重を掛ける部分,が語源」と,『大言海』とも同様,「きびす」の足の部分の説明ではなく,機能の説明に転じているところが面白いが,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ka/kakato.html

は,

「足元のところを意味する『脚下処(かくかと)』から『かかと』になったという位置からみた説などあるが、基となる語の用例が見られないため疑問が残る。東日本を中心とした方言では『あくと』や『あぐど』と言い、九州・沖縄の方言では『あど』や『あどぅ』と言うことから、上記の中では『足掻処(あがきと)』の略転が有力。その他、くるぶしから先の部分や足を『くはびら』といい、『くはびら』の『くは』が音変化して『かかと』になったとする説がある。『くは』は『きびす(くびす)』の語源にも通ずることから、音変化の過程がはっきりすけば最も有力な語源と考えられる。

と,

「『足掻処(あがきと)』の略転」を採っている。つまり,この説では,
あがきと→あくと,あくど→かかと,
と,地方に残った「あくと」「あくど」を原型と見ている,ということになる。
 『日本語の語源』も,

「カカト(踵)の方言として,三重・奈良・和歌山県ではアシノトモ(足の艫)といい,長崎県五島・種子島ではアシンカド(足の角)という。カカト(踵)の語源はアシカド(足角)で,『シ』を落として『アカト』になり,語中の『カ』の遡行同化の作用で,『ア』に子音[k]が添加されてカカトになったと思われる。」

としている。「あしのとも」「あしのかど」は,「あくど」「あくと」に転訛して,

あしのもと・あしのかど→あしかど→あかと→かかと→あくと・あくど,

等々と,方言に残ったと見るのも,面白い。

『日本語源大辞典』は,その他,

あかぎりの多く切れる箇所からいう(和訓栞),
カガミト(屈處)の意か。またはカクト(駈處)からか(日本語源=賀茂百樹),
脚踵の踵音kak-toと転化(日本語原学=与謝野寛),

等々が載るが,「あしのとも」「あしのかど」に惹かれる。最後に,漢字に当たっておくと,「踵(漢音ショウ,呉音シュ)」は,

「足+音符重(重みがかかる)」

で,足のかかとを意味する。「跟(コン)」は,

「足+音符艮(コン じっととまる)」

で,くびす。足の地面につく部分。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店
大槻文彦『大言海』(冨山房
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房
田井信之『日本語の語源』(角川書店
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社

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