五柳庵の残日録

存命の喜び、日々に樂しまざらんや

もうすぐ死ぬんだから

2021年04月27日
火曜日
はれ

 午後1半時からVERの美容院。
 その後、サティで家人の買い物。
 13号を通りヤマダへ。ステレオ各種を見る。
 いずれにしても高いものは高い。安いものは安い。

 旧国道のショッピングモールへ行きミスドーでコーヒーを飲む。
 待ってもなかなか電話が来ないので一度帰ることにする。老生ののどの具合もタイムアップだった。のどの手当てをしているとようやく美容院から電話あり。
 いずれにしても疲れた。

 ここのところ電器屋を見て回っている。せめて昼の間でもヘッドホンではなくてスピーカーで聴いてみたいよ、という欲求が強まったのである。
 そこで色々装置を検討しているのだが、「もうすぐ死ぬんだから」と「せめて死ぬまでの間」の違いに気が付いた。いつ死んだってやりたいことをやればいいではないか。『明日に道を聞かば』の箴言もあるではないか。

 今朝の『北斗星』。


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 秋田市雄物川の堤防を歩くと四季折々の草花の変化に出会えるのが楽しみだ。今の時期なら爽やな川風を受けながら、赤紫色のヒメオドリコソウの群落に交じって鮮やかな黄色のタンポポや菜の花が咲き誇る姿に出会う。変わらぬ春の光景である
与謝蕪村の長詩「春風馬堤曲」と二重写しになるようにも思える。都会に奉公に出ていた少女が休暇をもらって帰省する。歩きながら、古里で帰りを待つ母に寄せる思慕が全編にあふれている
▼白と黄のタンポポが三々五々咲いている堤の道を行く。〈春風や堤長うして家遠し〉。母のいる実家までとても遠く感じられるという感覚は、古里に向かう人が誰しも抱いたことのある切ない思いだろう
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 果たしてヒメオドリコソウか? ホトケノザと違うのではないか。
 『三々五々』はどういう場合に使うのか。どうもタンポポには似合わない、と感じたのである。
 結果は広辞苑4に
「さんさん‐ごご【三三五五】_副_三人また五人ぐらいずつ続いて道を行くさま。人や家などが、ここかしこに散在するさま。ちらほら。三五(さんご)。「たんぽぽ花咲けり―」(蕪村)」
とあるから、これでいいんだろう。

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「たんぽぽ花咲けり三々五々。五々は黄に三々は白し。記得す去年此の路よりす」
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