2021年7月17日
土曜日
はれ
枕頭で宿業というものを親鸞はどう捉えていたのだろうか、と考える。
例の喜ばなければならないものを喜ばせぬのは『宿業』だというところだ。
決定論では時間軸に沿って展開していく。ちょうどファスナイーが閉じていくように。
凡人にとっては決定論は救いではある。特に年寄りにとってはいろいろなことは『お前のせいではない』という慰めになる。
「ビールを買わなくては」。何をどう思ったのか、家人が買いに行くという。ドン・キホーテへ。買うものもなく(体調も良くなかったので)車の中で待つ。
帰宅してアイスクリームをVERと一緒に食う。VERにとっては最中クリームの最中の部分がご馳走だ。