五柳庵の残日録

存命の喜び、日々に樂しまざらんや

懐かし、選者の河野裕子さん

2021年10月24日
日曜日
くもり

 終日在宅。
 テレビで囲碁を観て終わり。

 ところで昨日の「読者の声」の《潟の文化の思い寄せる》について。
 なんと数えてみたら今から22年も前のことになるのだ。驚いたねえ。あれからもう20年も過ぎたなんて!
 残しておくと残っているもんだ。

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1999-5-18
秋田魁新報北斗星

 「『納豆鮴』とふれ来しあきんど今は亡く潟の小魚見ることもなし」という短歌の「鮴」は何と読むのか、さらに「納豆鮴」とは何か
▼日曜日に秋田市の県生涯学習センターで開かれた本社主催の第六十回記念全県短歌大会はおよそ三百人が参加した。盛会であった。歌誌「塔」の選者・河野裕子さんの講演「表現のおもしろさ」に熱心にメモを取りながら、しきりにうなずく人も多かった

▼大会が講師の選評となり、佳作として石沢なよさんの「納豆鮴」の歌に移った時、会場が大いにどよめいた。河野さんが「この漢字、辞典で調べたのだが、メバルと読むんですよね」と話したのに反応したのだった

▼「鮴」が海水魚メバルであるなら、下の句の「潟の小魚見ることもなし」と一致しない。別の読み方があるに違いない、ということだった。そして会場からは「ゴリ、ゴリ」という声が上がった。「潟の小魚」はゴリということで選評は次に移ったがしばらく会場は静かにならなかった

▼後で手元の辞典を調べてみたら、なんと「鮴」はゴリともメバルとも読むのである。河野さんが調べた辞典にはメバルしか載っていなかったのかもしれない。また会場の「納豆鮴」を知っていた人はメバルとは読むはずがないと思っていたのだろう

▼作者の石沢さんによると「納豆鮴」はゴリを酢みそであえたもので、季節は五、六月ころ、行商の人が回って来た。八郎潟干拓でなくなる前は、ごく当たり前の季節の食べ物だったという。石沢さんの歌とともに「納豆鮴」は生き続けるに違いない。


1999-09-07
秋田魁新報北斗星

「納豆鮴」について再び。鮴はゴリ。どんな魚か。広辞苑によると「淡水魚カジカの方言(金沢)。淡水魚ヨシノボリの方言(琵琶湖)。ハゼ類の淡水魚チチブの方言(高知)」である。八郎潟でよく捕れたのはどれに当たるのか

▼本社主催の全県短歌大会で初めてこの「納豆鮴」という魚を知ったのだが、「『納豆鮴』とふれ来しあきんど今は亡く潟の小魚見ることもなし」の作者の説明を聞いて、「ゴリを酢みそであえたもので、季節は五、六月ごろ行商の人が売りに来た」と納得していたが、その後多くの人にご教示いただいた

▼まず納豆となぜ言うか。ねばることと豆に似ていることの二点からきている。春先のゴリはかき回すと体の表面の粘液でよくねばる。また産卵期で、腹が膨れているので豆に見立てることができる。秋田市の市民市場に行って確認した、とのことだった

▼また男鹿の漁師のせがれと名乗る方からは「干拓によって狭くはなったが残存湖ではまだまだ捕れるし、つくだ煮もたくさん作られている。先日、市民市場から買ってきて納豆鮴のかやきを食べた。てんぷら、みそかやきもうまい」と手紙をいただいた

▼では何か納豆鮴について書いたものはないかとあれこれ探してみたら、ありました。「聞き書 秋田の食事」(藤田秀司代表)という本の中に教えてくださった方々の内容と同じことが書かれていた

▼「潟ごり(小はぜ)は春先にとれるもので、かき回すとねばりが出ることから納豆ごりの名がある」「食べるとのどのあたりでごりが動くほど新鮮な料理」。来年の春先が待ち遠しい。
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