「読者の声」の佳編2つ

2021年10月23日
土曜日
あめ

 最低気温が5.8。最高が11.7。

 終日在宅。

 久しぶりに「読者の声」にいい投稿があった。

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潟の食文化に思い寄せる
 

 4日付の本紙くらし欄「えんびつ四季」に、「ゴリの佃煮」のことが署かれていた。「ゴリ」という響自体が懐かしく、小学生の頃を思い出させてくれた。

 当時は寒くなると、ゴリやチカなどの潟焦が入った木箱を自転車の荷台に積んで売っている人の姿をよく見掛けた。登校時間帯、朝日がいっぱい降り注ぐ中、家の前の退路で祖母がよく買っていたのを思い出す。祖母はゴリやチカの煮付けが好物だった。煮付けと佃煮のほか、みそかやきにして食べるのもおいしかった。

  「えんぴつ四季」を読んだ日の夕飯は、チカの佃煮だった。妻は.、投稿に書かれていたレシピを参考にしたとのこと。前もって知らされていなかっただけに驚いた。おいしくいただき次はゴリの佃煮をお願いした。そのまた次は、ゴリのみそかやきがいいとも。われながら、なんと注文の多いことか。

 八郎潟が埋め立てられてから久しい。干拓後の漁業は限定的なものとなったが、潟の食文化に思いを寄せたひとときだった。
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月に1度の優しい”喝”

 預金涌碩の一行目に記載された「4641」という数字。月にI回、給料日に通帳を聞くたび、この数字に励まされる。「愛ちゃん、頑張れなあ」。そう祖母が優しくほほ笑みかけてくれているようで、自信なさげな猫背が少しだけ伸びる。

 この4641円は、祖母が生前にくれたお金。祖母は買い物の時、「小銭を出すのに手間取り、人を待たせてはいけない」と考え、よくお札で支払っていた。お釣りで膨れた財布をすっきりさせるため、小銭を手作りの巾着に移していたようだ。

 私が社会人になって間もない頃、祖母が少し恥ずかしそうに、「愛ちゃん、これ使ってけね?」と重そうなその巾着を持ってきた。開くと、中身はほぼ1円玉。私は内心、「どうやって使おう」と思いながら受け取った。少しずつ財布に移して使おうと考えたが、結局そのまま保管していた。

 数年後、祖母が亡くなった。母や親戚と祖母の部屋を片付けていた時、その小銭が入った巾着のことを母に話した。母は「孫が8人もいるのに、どうして愛里に預けたんだろう。大事に便ってくれると思ったのかな]と言った。

 聞けば、私が高校生の時、祖母が私のアルバイト先のスーパーに立ち寄ったことがあったという。その時私が、祖母のように腰の曲がったお客さんに優しく声を掛けていたと、祖母はうれし涙を浮かべ帰ってきたそうだ。母は「働くことの大変さを早くから勉強しているのだと、孫の成長を喜んでいた」とも教えてくれた。

 私は幼い頃、祖母がくれたお小遣いの「重さ」を考えず、好きなように使っていた。母から話を聞くまで、小銭の入った巾着を少し煩わしくさえ思っていた。そんな自分が情けなく、恥ずかしくなった。そして、祖母が残した小銭は使わず大切に残そうと貯金用の通帳を新しく作った。

 お金を稼ぐことは、簡単なことではない。毎日過ごす中で、落ち込むことも多々ある。そんなとき、月末に見る通帳の4641円が、私を奮い立たせてくれる。祖母の優しい,”喝”が飛ぶ給料日が、またやって来る。
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 ゴリについては思い出すこともあるが、後日にしよう。