『無責任な他力主義者』

2022年3月9日
水曜日
はれ

 終日在宅。

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  「他力」などと言えば抹香くさく感じられるかもしれないが、私は無責任な他カ主義者である。本来の「他力」は弥陀の本願力をいうのだが、私の他力思想はもっと俗で単純なものでしかない。
 自分ひとりがじたばたしたところで、大きな見えない力にはあらがえない、という感覚である。
 「人事をつくして天命を待つ」という言葉を、私は勝手に、「人事をつくさんとするは、これ天の命なり」と勝手に読んできた。
 物事がうまくいったときは、他力のおかげと感謝する。そして、失敗したときは「他力の風が吹かなかったのだ」と、呟いて自分を責めない。
 そうでなければ、今日まで生きてくることはできなかったという気がするのである。
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 朝、新聞を読んでいて五木寛之のエッセーに「そうだなあ」と思わずうなずいていた。『無責任な他力主義者』とはいうが、もともと他力主義者というものは無責任なものではないか。今現在、『そうでなければ、今日まで生きてくることはできなかった』という点では全くその通りである。

 しかし、五木先生も「勝手に」が重複するなど気が回らくなってきたのかな。
 家人に「明日こそは買い物に連れて行け」と厳命される。