2023年9月9日
土曜日
はれ
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36・4度でした。どうも低すぎる感じ。
ほんとにアタシにとっては寒い秋が恐ろしい。
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ちょう‐よう【重陽】‥ヤウ(陽の数である九が重なる意) 五節句の一。陰暦九月九日で、中国では登高という丘に登る行楽の行事がある。わが国では奈良時代より宮中で観菊の宴が催された。菊の節句。九月の節句。重九。_季・秋_。「―の宴」→茱萸嚢(しゆゆのう)・
夢でめんじゅの国というのが出てきてなかなか消えない。何の意味なのか、分からないながらも意識が≪めんじゅ≫と騒いでいる。これはいったいどういうことだろう。頭が狂ってきているのだろうか。
起きて調べてみる。
濃尾大花火(のうびだいはなび)で有名な一宮市の西部にほぼ中央する毛受。現在の毛受は、東海北陸自動車道が通過しており、東側には住宅地、西側には田園地帯が広がるのどかなエリアです。
毛受は、1235年(嘉禎元年)の文書にはすでにその名が登場している歴史の古い土地です。今は「めんじょ」と呼ばれていますが、過去には「めんじょう」と呼ばれていたとされています。
この地が毛受と呼ばれるようになった由来は諸説あります。
・和泉付近に住んでいた百舌鳥氏(もずし)が全国にひろがり、「毛受(もず)」と表記するようになり、発音が「めんじょう」に変化した
・毛受は「免除」の誤り
・大和国鵙(もず)が毛受に変化したいずれの説が正しいのか、定かではありません。そもそも、「もず」が「めんじょう」に変化した説に関しては資料がなく、なぜ「もず」→「めんじょう」と変化したのかも理解に苦しむところです。
ちなみに、毛受(めんじょう)氏という清和源氏頼光の流れを汲む武家も存在しました。織田信長に伝えた猛将で知られる柴田勝家の家臣、毛受家照(めんじょういえてる)は愛知出身(尾張)。彼は毛受に住んでいた鵜飼家が他の地域に移り住み、分家した鵜飼勝明の次男です。分家の際に、住んでいた地域の名を名乗ることになりました。
柴田勝家が、羽柴秀吉(豊臣秀吉)と戦った際、敗戦が濃厚であると判断した毛受家照は、撤退を進言して柴田勝家に扮して敵の進軍を食い止め、奮戦ののちに死亡。柴田勝家のために命を捧げた忠君として、今でも滋賀県長浜市で手厚くまつられています。
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終日在宅。