2001も入試は6日だった

2018年3月6日 火曜日 はれ

高校入試に付き添って前日からホテルに泊まった大曲の姪、娘を試験会場まで送った後、午前9時半ごろ来宅。 老生は彼女が夕方に帰るまで自室で過ごす。

/*  秋田県内公立高校入試の2018年度一般選抜が6日、全日制47校(分校含む)と定時制6校で行われ、計5743人が学力検査と面接に臨んだ。 */

昔、高校受験について書いた文を思い出した。検索してみると、ありました。 2001年3月7日だった。

/*   人生最初のつまずきは中学の入試だった。  その朝、父が言った。  答案用紙に向かったらまず心臓に手を当てて一分間だけ自分の鼓動を確かめろ、と。  実行した。しかし、心臓の鼓動はいつもの倍も早く、問題の文字も見えなかった。  この経験が生きたのか、高校入試はわれながらうまくいった。  次の挫折は大学入試。数校受験したが、心臓の鼓動は確実に計算できたのに見事にすべて失敗した。この時、人生というのは実力がなければ無理なのだということを覚ったのだった。  友人の子どもが六日、いつもより帰りが遅かった。  心配した母親が家の前で待っていて、どうして遅くなったのか問いただしたら、学校から歩いていけるだけの神社を回ってきた、とのことだった。「この子が」と思わず抱きしめてしまったという。  「大きくなったら私、美人になれるかしら」「僕はハンサムになれるかしら」と聞くと母が答える。  「ケセラセラ」。  つまり「なるようになる」。確かに先のことなど分からないのである。  昔、そんな歌が流行した。  『十五の春』の皆さん。きのうの受験はどうだったろうか。全力を尽くして満足している人もいるだろうし、もう少し勉強していれば、と悔やんでる人もいるだろう。  入試が現実の制度としてある限り、避けては通れない。  ならば開き直るしかあるまい。高校入試だけではない。長い人生、いろんな試練が待っている。いかに対応していくかが大切なことなのだろう。  オジンと呼ばれるこの年になってもまだ夢に入試が出てくる。しかし「ケセラセラ」だ。 */