手術後の糸を抜く

2017年5月30日 火曜日 くもり

午前5時に起床。 しばらく自室で時間を潰す。 6時から霧掛け・痰取り。 9時にすっきりしないので再度霧掛け・痰取り。 家人の運転で大学病院へ。しかし、どういうわけだか知らないが、痰が取り切れない。少し動くと息が苦しくなる。 大学病院では呼吸器外科で受付し、予想通りレントゲンを撮って待つ。12時すぎにようやく診察。糸抜きをして、気胸については《完治》を宣言されて終わり。

診察を待つ間に高校同級生の成田孚氏に遇う。お互いに一言もなく、握手だけで別れた。年取るとこんなものだろう。

帰宅して昼食。 霧掛け・痰取りをやったが、相も変わらず苦しい。 午後3時すぎまで自室でウツラウツラする。

次の病院は来月6日、呼吸器内科。

ラジオで偶然、 『亡き王女のためのパヴァーヌ』がかかるが、いつも引っかかるのでメモしておく。

《メモ》 『亡き王女のためのパヴァーヌ』(なきおうじょのためのパヴァーヌ、原題:Pavane pour une infante défunte)は、フランスの作曲家モーリス・ラヴェルが1899年に作曲したピアノ曲、および1910年にラヴェル自身が編曲した管弦楽曲。『逝ける王女のためのパヴァーヌ』とも訳される。

パヴァーヌとは、16世紀から17世紀にかけてヨーロッパの宮廷で普及していた舞踏のことである。

「亡き王女」とは、原題の内のinfante défunteに該当し、韻を踏んだ表現が選ばれている。ラヴェルによると、この題名は「亡くなった王女の葬送の哀歌」ではなく、「昔、スペインの宮廷で小さな王女が踊ったようなパヴァーヌ」だとしている。よって、日本語の表記においても、「亡き王女」と表現すると、死んだ王女という意味が強くなるため、あえて漢字を使わずに「なき王女」と表記することもある。défunt(e)に近い日本語の表現は「いにしへの」になる。「いにしへ」は、漢字で書くと「往にし方」であり、そもそもは「あの世へ往った=亡くなった」という意味であるがその意味は弱くなってしまい、「その昔の」という意味の方が第一義的に使われるようになった。よって、「いにしえの王女のためのパヴァーヌ」程度の意味が、原題でラヴェルが意図するところとなる。

この古風な曲は、歴史上の特定の王女に捧げて作られたものではなく、スペインにおける風習や情緒に対するノスタルジアを表現したものであり、こうした表現はラヴェルによる他の作品(例えば『スペイン狂詩曲』や『ボレロ』)や、あるいはドビュッシーアルベニスといった同年代の作曲家の作品にも見られる。