次世代へ命をつなぐ秋ですな

2019年9月24日
火曜日
はれ

 午前中、茨島のモールへ。
 家人はマックスバリュ、老生は加賀屋書店へ。

 ABSのラジオ電波塔の周りを歩く。
 やはり「秋だなあ」と実感する。
 アキアカネというのか、赤くない赤トンボが縦横無尽に飛んでいた。
 力尽きてアスファルトの上で痙攣しているのもいた。
 小学校時代、登校する道すがら霜をかぶった赤トンボを乾いた枯れ葉の上に置いてやった記憶が蘇ってきた。
 雑草も様々な実をつけている。

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 おまけは隣家のカキの実。薄っすらと色づき始めた。

 ラグビーワールドカップの各戦をテレビ観戦。
 あの肉食人種の獰猛な肉体や顔つきに勝てるとは思えないね。

 テレビのワイドショウ『韓国劇場』は今の所小康状態。
 まあ、解説者というのか、次から次へといろんな人物が登場するもんだ。
 そして、いろんなことを言うもんだ。

 

じだいしゅぎ【事大主義】
===世界大百科事典 第2版の解説===

 小国が礼をもって大国に事(つか)えること,また転じて勢力の強いものにつき従う行動様式をさす。《孟子》梁恵王章句下に,斉の宣王が隣国と交わる道を問うたのに対し,孟子は〈大を以て小に事うる(以大事小)者は天下を保(やす)んじ,小を以て大に事うる(以小事大)者は其の国を保んず〉と答えた故事に由来している。 朝鮮史では,李朝の対中国外交政策を事大主義と称する。1392年,高麗王朝に代わって李成桂が創建した李朝は,その前期には明,後期には清に対する〈以小事大〉の礼をもって国号と王位の承認を得て国内の統治権を強化し,定例的な朝貢使(燕行使)の派遣にともなう官貿易によって経済的利益を得,1592‐98年に豊臣秀吉の侵略をうけたときは明軍の支援を得た。