椎名其二という秋田の人

2019年11月20日
水曜日
あめ みぞれ

 家人と一緒にテレビのワイドショウを見ることが多いが、コメンテーターというのが曲者である。いわゆる司会者の名指しによって意見を述べるわけだが、お笑い芸人が獨り前の顔して出てきて司会者の誘導通りの答えを出す。とんだ噴飯ものである。

 差別は良くない、というが厳然として差別はある。現に芸人だとてそのギャラによって差別されているではないか。かなり昔、『一億総白痴化』と言われたことがあったが、今では「白痴」さえ差別用語になりかかっている。
 というようなことを言ったって始まらない。
 五柳先生のように悠然として南山を見て暮らそう。

 終日在宅。

 昨日、ドン・キホーテへ家人と一緒に行った友人の名前を忘れていたが、今日になってふっと思い出した。年とったねえ。

 椎名其二という人。

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椎名 其二(読み)シイナ ソノジ
20世紀日本人名事典の解説
椎名 其二
シイナ ソノジ
大正・昭和期のフランス文化研究者
生年
明治20(1887)年2月12日
没年
昭和37(1962)年4月3日
出生地
秋田県仙北郡角館町
学歴〔年〕
早稲田大学文学部中退,ミズーリ州立大学新聞科卒
経歴
セントルイス、ボストンなどで記者生活の後、大正3年渡仏。社会学者ポール・ルクリュと出会い、その学僕としてアナキズムの洗礼を受ける。南フランスを放浪中マリー・ドルバルと結婚。第1次大戦中はパリの火薬工場で働き、大正11年妻子と帰国、早大で教鞭をとり、ファーブルの「昆虫記」を翻訳。昭和2年再び渡仏、以後30年間をパリで過ごす。第2次大戦後は製本業を営み、パリ人から親しまれた。32年10月日本に帰り中央公論に「自由に焦れて在仏40年」「パリで知った黒岩涙香」「石川三四郎のこと」などを書き、「声」に農民作家エミール・ギヨマンその他」を発表、ラクロアの「出世しない秘訣」を翻訳して話題となった。しかし日本は肌に合わず35年12月またフランスへ戻り、ルクリュ家で余生を送った。
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