いのちのはてのうすあかり

2020年1月22日
水曜日
くもり

 終日在宅。
 『立原正秋』を読む。
 この本の奥付に「たちはらせいしゅう」とルビが振られているのに気がついた。
 高井有一がこう読ませたかったのだろうか?
 それとも立原の意向なのだったのだろうか。
 まだ謎である。

 湯豆腐やいのちのはてのうすあかり 久保田万太郎

 「余、平生作る所の文章、多くは三上に在り」というわけではないが、寝ていてこの句を思い浮かべた。
 喉頭がんの手術後、体にさまざまなセンサーが取り付けられ、動くのも容易でなかった。そのセンサーの一つに指先に付けられる桃色の光を放つ洗濯バサミのようなものがあった。
 どうやらパルスオキシメーターというらしい。
 このセンサーの色が万太郎言うところの『うすあかり』を想起させるのである。人によって想い浮かべる『うすあかり』は違うだろうが、老生には「いのちはて」の色は桃色に思えたのである。

 それで、家人に頼んで夕食に豆腐を暖かくして出してもらった。湯豆腐を懐かしんだのであるが、味も分からず、喉を素直に通過するでもなかった。

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急逝する五週間前に、銀座百店会の忘年句会で書かれた句。したがって、辞世の気持ちが詠みこまれているとする解釈が多い。万太郎は妻にも子にも先立たれており、孤独な晩年であった。そういうことを知らなくても、この句には人生の寂寥感が漂っている。読者としても、年齢を重ねるにつれて、だんだん淋しさが色濃く伝わってくる句だ。読者の感覚のなかで、この句はじわじわと成長しつづけるのである。豆腐の白、湯気の白。その微妙な色合いの果てに、死後のうすあかりが見えてくる……。湯豆腐を前にすると、いつもこの句を思いだす。そのたびに、自分の年輪に思いがいたる。けだし「名句」というべきであろう。『流寓抄以後』(1963)所収。(清水哲男
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