《利尿剤》の効果いまだし

2022年2月10日
木曜日
はれ くもり

 テレビでは朝から首都圏で大雪なると注意を喚起している。われら雪国の人間には《笑止》に思われるが、彼らにとっては大事件なのだろう。

 午前中は平穏無事に終わると思われたが、午後に突然、《ツルハ行き》を命じられた。小路の轍は確かに抜け出しにくい状況。

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 《利尿剤》の効果いまだし。

 枕上。久保田万太郎の俳句、『湯豆腐やいのちのはてのうすあかり』が頭に浮かぶ。「うすあかり」って何だろう。

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作者にしても晩年意識の濃い日常であったことだろう。淡白な味わいの湯豆腐を平和に食しながら、自分のいのちのはてがうすうすと明るんでいることを実感したというのである。
「うすあかり」には、安堵や救いもあろうが、むしろそこはかとない淋しさを感じる。「いのちのはての」という言いまわし、様々な曲折のあった、今までの長い人生を感じさせる。どぎつい事柄や暗黒の時代を生き抜いてきた末の「湯豆腐」であり、「うすあかり」である点を味わいたい。
(行方克巳・西村和子 共著『名句鑑賞読本』より)
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急逝する五週間前に、銀座百店会の忘年句会で書かれた句。したがって、辞世の気持ちが詠みこまれているとする解釈が多い。万太郎は妻にも子にも先立たれており、孤独な晩年であった。そういうことを知らなくても、この句には人生の寂寥感が漂っている。読者としても、年齢を重ねるにつれて、だんだん淋しさが色濃く伝わってくる句だ。読者の感覚のなかで、この句はじわじわと成長しつづけるのである。豆腐の白、湯気の白。その微妙な色合いの果てに、死後のうすあかりが見えてくる……。湯豆腐を前にすると、いつもこの句を思いだす。そのたびに、自分の年輪に思いがいたる。けだし「名句」というべきであろう。『流寓抄以後』(1963)所収。(清水哲男
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