いささか所労のことあり

2018年1月30日 火曜日 くもり

夜中にちょっと痛いところがあると、不安になる。

そうするといつも「歎異抄」の『いささか所労のこともあれば、死なんずるやらんとこころぼそくおぼゆる』のフレーズが浮かんでくる。「いささか所労のこと」が多すぎる。

/*  久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、いまだうまれざる安養の浄土はこいしからずそうろうこと、まことに、よくよく煩悩の興盛にそうろうにこそ。  なごりおしくおもえども、娑婆の縁つきて、ちからなくしておわるときに、かの土へはまいるべきなり。  いそぎまいりたきこころなきものを、ことにあわれみたまうなり。  これにつけてこそ、いよいよ大悲大願はたのもしく、往生は決定と存じそうらえ。  踊躍歓喜のこころもあり、いそぎ浄土へもまいりたくそうらわんには、煩悩のなきやらんと、あやしくそうらいなまし」と云々 */

 ということだから煩悩熾盛の老生、往生は決定。

午前中、家人にせかされて買い物。「サティ」へ行く。 本屋でCDを購入。 Bill Evansの『What New With Jeremy Steig』。 ビル・エヴァンスのCDはこのほか2枚あったが、とりあえずという感じで選んだ。

午後から自室。 『あきた歳時記』は「鴨撃ち」「氷下漁」「在掻き」の三本。 「在掻き」は

「沼や古川に、岸の雪をしたたかに抛り込み、つぎに棒や竿でやたらに掻きまわすと、水底にひそんでいたワカサギその他の小魚たちが、おどろいて水面に出てくる。一刻の後に、水中の雪が、小魚を乗せたままで浮上してくる。あとは生きたまま、ぴちぴちしている小魚を拾うだけ」

という漁法だそうで、老生、これに似たようなことを近くの田んぼの小川で小学校時代にやったような記憶がある。