「心から心へ」連載始まる

2017年12月19日 火曜日 くもり

朝、新聞を開いて「心から心へ」という連載が始まったことを知る。 老生たちの卒業した次の年、はじめて吹奏楽の東北大会が始まったと記憶している。高校一年生として確か仙台へ行ったんだよなあ。

その内容は以下の通り。

「心から心へ」と書かれた額が、山王中学校(秋田市)の音楽室に掲げられている。同校吹奏楽部を全国屈指の強豪に育て上げ、木内音楽賞に名を残す故木内博さん(1926~77年)の信条「生きた音楽だけが心から心へ呼び掛ける」に由来する。

山王中は53(昭和28)年、成和中と高陽中が合併し誕生した。成和から山王の教諭になった木内さんは、54年に設立された吹奏楽部の初代顧問に就き、亡くなるまで指導。この間、全日本吹奏楽コンクールで71、72、74、75、76年の5回にわたり金賞を獲得、全国に名を知らしめた。

木内さんはあふれんばかりの情熱を吹奏楽部に注ぎ、部員たちもそれに応えた。

全日本の3年連続金賞を目指した76年。8月合宿では1日13時間も練習したが、木内さんは「曲の楽しさを感ずるには程遠い」とした。しかし11月の本番当日、最後の練習で「お前たちがこんなにできるようになるとは…」と話したという。当時の部員は「その言葉が心からうれしくて胸にしみた」と回想する。

山王中OBで木内音楽賞維持会の事務局長、杉山重直さん(61)は一番の思い出に2年生の東北大会を挙げる。わずか1点差の2位で全日本を逃し、木内さんは部員たちの前で涙した。「部員の前で決して弱いところを見せなかった先生の涙を見たのは、あの時が最初で最後だった」

実はこの東北大会、審査員5人のうち3人が山王中を1位としたが、1人だけが著しく低く採点。公正さを巡り議論を呼び、後に採点法が変わるきっかけになった。

山王中吹奏楽部の歩みをまとめた「50年のひびき」(2003年発行)に木内さんの言葉が載っている。「栄光の全ては、たゆみない努力をしたメンバーにあり、失敗の責任の全ては指揮者にある。生きた音楽を、生きた心で、生きる人々に伝えよう」

木内さんの長男恒(こう)さん(57)は現在、父と同じく山王中吹奏楽部顧問や県吹奏楽連盟理事長を務める。「父もしたように全国の指導者を訪ねて勉強したが、まだかなわない」と話す。

吹奏楽部はこれまで全日本で金賞を計17回受賞。プロの音楽家も輩出している。 (さきがけ)