厚い靴下に下ズボン

2017年11月21日 火曜日 くもり ゆき

最高気温が4度、最低が0度。寒い。厚い靴下に下ズボン。

午前中、足の爪を切る。 その後、自室でラジオを聴きながらウトウトする。

昼食後、ベッドで2時間ばかり寝る。足が冷えてこすり合わせてどうにか温める。これも加齢のせいかな。

合間合間にテレビを観る。相も変わらず「日馬富士殴打事件」一色である。 世の識者が総出演。 庶民を白痴化するにはこういう話題が一番か。

テレビ番組「水戸黄門」に佐竹明夫が出ていた。あの人が亡くなってからもう8年になるのか。初めて会いに行ったのが昭和47年10月。釣りの話ばっかりだった記憶がある。

// 佐竹 明夫(さたけ あきお、1926年1月27日 - 2009年2月26日)は、日本の俳優。本名は中山 賢雄(なかやま としお)。東京都豊多摩郡戸塚町出身。最終所属はエ・ネスト。娘は歌手の中山圭子。 //

 と、ウィキぺディアにはあるが、出身は五城目町大川だったはず。

// 来歴・人物

早稲田大学理工学部建築科卒業後、三菱電機大船工場に勤務していたが、バスの中で谷口千吉監督にスカウトされ、1951年東宝に入社し、映画『死の断崖』で俳優デビュー(当時の芸名は片桐余四郎)。その後、演技の勉強をし直すため劇団俳優座養成所に第2期生として入団(同期には土屋嘉男、小林昭二、滝田裕介、横森久などがいる)。

劇団俳優座、松竹を経てフリーになり、以後は時代劇などテレビドラマを中心に活躍。特にゲスト主役として、父親役や大店の実直な老主人役などがはまり役であった。テレビ時代劇『水戸黄門』には外伝を含め32回ゲスト出演している。1970年代のアクション系作品では知性派の悪役としても個性を発揮した。 外野の会会員(注)。 1985年には大阪府吹田市に「劇団スタジオQ」を旗揚げし、主宰となる。以降、東京-大阪間を行き来しながら、子供向けミュージカル等の演出を手がけ、劇団員の育成に携わっていた。

2009年2月26日午前5時13分、剥離性大動脈破裂により川崎市の病院で逝去。83歳没。

(注) ◆秋田弁もとび出して秋田「外野の会」(東京) 朝の連続テレビ小説雲のじゅうたん」放映以来、秋田県の株が急上昇している。その折も折、さる一月十四日夜、東京・銀座の「治作」で、在京県出身芸術、芸能人の集まりが開かれ日ごろの仕事ぶりから秋田の思い出、秋田弁へと深夜まで話がはずんだ。 県出身の芸術・芸能人が一堂に会したのはさる三十年の会合以来実に十六年ぶりのこと。当日、多忙なスケジュールをさいて集ったのは、演劇、音楽などの第一線で活躍している二十四人の多彩な顔ぶれ。 会の名称も新しく「秋田『外野の会』」と決まり、会長には満場一致で大坂志郎(俳優)さんを椎せん決定した。 (あきた(通巻178号) 1977年(昭和52年) 3月1日発行) //