願わくはピンピンコロリ

2018年5月3日 木曜日 あめ くもり

午前6時に起床。

午前中、自室でCDを聴く。

午後、昨日買ったプリンターの設置。 今のプリンターはパソコン用ではなくて、スマホ用に作らている。 WIFIで連絡できるようだし、SDカードから直に印刷できるようだ。 なんやかんやで少し慌てる。

老人の願いと言えば、死ぬときは苦しみたくないというのがトップにくるのではないか。そうだよねえ。老生も苦しまないで死ぬのが願いだね。

/* ピンピンコロリとは、病気に苦しむことなく、元気に長生きし、最後は寝付かずにコロリと死ぬこと、または、そのように死のうという標語。略してPPKという。 対義語として、寝たきりで長く生きるという、ネンネンコロリ(NNK)がある。 */

なるほど。

/* 1980年、長野県下伊那郡高森町で、北沢豊治が健康長寿体操を考案。 1983年、日本体育学会に「ピンピンコロリ(PPK)運動について」と題し発表したのが始まり。 長野県は男性の平均寿命が1位をキープしていることもあいまって、この運動の普及に力を入れている。2003年には県内でも有数の長寿を誇る佐久市に「ぴんころ地蔵」が建立されている。 */

大学時代からの友達で若くして死んだ武藤修靖は確か佐久の出身だった。平均というのは、中に極端をも含むのですなあ。

彼の供養のためにもと思い、以前の『通知』を再録しておく。 /*

-------------------------------------------------- 2014年2月28日 金曜日 はれ --------------------------------------------------

一通の封書が届いた。差出人は「中央区日本橋蛎殻町1-11-3-506 ピニオン武藤事務所 武藤郷子」。悪い知らせはいつも突然だ。 -------------------------------------------------- 前略 今朝、谷口好正さまから私の携帯に電話がありました。「〇〇には連絡しましたか」と。 大変ご無沙汰しておりますうちに、とうとう武藤は永遠の別れになってしまったことをお伝えいたします。同封の一葉のとおりです。 昔々、○○様にはお目にかかりましたが、なにぶんにも秋田は遠く、そのうち年賀状も途絶えてしまいましたが、谷口様によりますと、一緒に旅行もした・・・ということでしたから、もしかしたら武藤とは連絡済み、訃報もお耳に入っていたかもしれません。 親しい学友として長くお世話になり、ありがとうございました。厚くお礼申し上げます。 今年はことのほか厳しい冬でした。秋田はなおさらと思います。 どうぞくれぐれもご自愛のうえ、お元気にお過ごしくださいませ。 かしこ 2月26日 武藤 郷子 --------------------------------------------------

同封の一葉。 -------------------------------------------------- 昨夏に体調を崩し、重篤ながん患者であることが分かってからの四か月。持ち前の明るさ と、周りが驚くほどの気丈さでがんばりました。年を越して、春を待って、と己の目標に 立ち向かっていたと思います。闘病の間、たくさんの方々に見舞っていただきました。ど んなに、どんなに、励まされたことでしょう。心より、ありがとうございました。

夫武藤修靖は、新年を故郷で迎えたいと十二月二十九日に帰省しましたが、翌三十日、容 態の急変で搬送した病院にて息を引き取りました。葬儀は年が明けて六日、当地にて家族 葬として見送リました。時期柄と、また急なことでもあり、お知らせすべき方々に欠礼し てしまいましたことをお詫びいたします。生前は、多くのみな様のお引き立てにより、や りたいことを存分にやった、おおむね幸せな人生だったと思います。 お世話になりましたみな様に、武藤になり代わりまして、厚くお礼申し上げます。

東京都中央区日本橋蛎殻町丁一十一上ニー五〇六 ピニオッ武藤事務所 武藤郷子 -------------------------------------------------- */